あずまんが大王は、4コマ漫画で高校生たちの日常を面白おかしく描いていく学園コメディマンガです。
基本的には、笑いの要素が大部分を占めており、何も考えずにそのまま楽しめばいいのですが、そこに善性や人生哲学を探ってみると、なにがしかの見えてくるものもあるのではないか、と思います。
ここでは、笑う事の大切さ、焼き鳥の肉とねぎの関係、人生を生きる上で大丈夫な人とはどのような人か、という事について、このマンガを通して考察してみたいと思います。
目次
笑う事の大切さ。どんな絶望におちいっていても、笑うと心が晴れ、善のサイクルが動き出す。
人生を楽しみ、有意義に過ごすにはどうしたらいいのでしょうか。楽しい人生と聞いてまず思い浮かぶのは、人々の笑顔です。
笑うという行為は、身体に良い効果をもたらすものであり、笑う事には、幸せホルモンのセロトニン、快楽ホルモンのドーパミンの分泌を促す効果があります。
また、ストレスの元となるコルチゾールを抑えるなど、ストレス解消にも効果があり、笑う事には、良い効果が沢山あります。
このマンガを読んでいると、自然と笑ってしまうような面白い部分が沢山あります。
日々の生活に疲れ、どんな絶望におちいっていても、悲しみに暮れていても、このマンガを読んで笑うと気持ちが晴れ、肩の力が抜け、善のサイクルが動き出す。
そして、何とかなるか、という気持ちになってくるような、不思議な力があります。
人生を豊かにするために、哲学書や自己啓発書などがありますが、もっと単純に豊かになるには、笑えば良いと思います。
そういった意味で、このマンガからは、どんなに優れた哲学書からでも得られないような、優れた楽しい感覚を得る事ができるのではないでしょうか。
そのように考えた時、思想書などから理屈で幸せを理解しようとするのではなく、マンガで身体全体で幸せを感得するという事も、時には効果もあるのではないか、と思いました。
焼き鳥の肉とねぎとは
物語の中で、英語教師が体育教師に向かって人生論を語る場面があります。酒場での何気ない会話なのですが、そこで展開される私論には、どこか面白い所があり、個人的には好きな部分でした。
そこでは、居酒屋で出てくる焼き鳥を見て、英語教師が体育教師に向かって、「この肉が私で、ネギがあなた、分かる?」と持論を展開します。
普通に考えれば何を言っているのか分からず、酔いにまかせて適当に発言した言葉のように聞こえるですが、よくよく考えてみると、そこにはある種の哲学を見い出する事ができます。
例えば、英語は学校での勉強において、大切な科目であり、受験においても主要な科目です。
その一方で、体育は、それほど重要ではなく、言わば、他の教科の補助的な役割として、気分転換や健康促進といった勉強とは直接関係のない要素を占めています。
そのような意味において、英語は勉強の主要科目としての肉であり、体育は補助的な役割のねぎであるという事ができます。
しかし、だからと言ってネギが要らないかと言うとそうでもなく、運動をすると身体が活性化され、集中力が強化されたり、気分転換になったり、勉強で疲れた体をリフレッシュしたり、勉強をより進めやすくする補助的な効果が期待できます。
そのような意味において、ねぎもなくてはならない存在であり、ねぎまにおいては、肉と同様ねぎもなくてはならない存在なのです。
このように考えると、居酒屋での焼き鳥論の骨子が見えてきますし、確かにそうかもしれないな、と思える部分があります。
そして、日常生活の色々な要素が、このメインとサブの効果的な組み合わせによって成り立っている事が見えてくるのではないか、と思いました。
常に明るく、お金はなくても人生を楽しんでいる人達
物語の最後、学校を卒業する場面で、担任の先生が、卒業を悲しむ生徒に向かって、あんたらは大丈夫だろう、という場面があります。
何が大丈夫なのか、具体的に語られる事はありませんが、この生徒たちは、常に学校生活を楽しみ、友達とよく遊び、いつも、わいわいがやがや楽しそうにしています。
常に明るい、と言えば、その生徒たちを適切に表していると言えるでしょうか。そして、それは人生を生きていく上でとても大切な要素であると思います。
この生徒たちはそれを自然と体現できているので、ある意味人生の達人と言えるかもしれません。
また、当然、生徒達は学生ですから、お金もあまり持っていません。しかし、それでも、お金を持っている人達以上に毎日が楽しそうです。
実社会において、通勤途中の高校生や中学生を見ると、彼らはとても楽しそうに仲間と話していますし、陰陽でいったら陽の気が満ちあふれています。
彼らは中高校生ですから、お金はそれほど持っていないはずなのに、お金を持っている社会人よりもなぜかとても幸せそうです。なぜ、彼らはお金を持っていなくても人生を楽しんでいるのでしょうか。
もちろん、お金は人生を豊かに生きる上で欠かせない大切な要素です。ないに越した事はありません。しかし、中高生が体現している楽しそうな生活を、我々大人はどこで失い、代わりに何を得たのでしょうか。
思えば、私も中高生の時はお金がほとんどなかったけれど、友達とワイワイガヤガヤしているだけで幸せだった。お金はなくても気の合う友達がいた。
今は、お金もある程度あり、本をたくさん読み知識も経験もあるけれど、友達はほとんどいないし、昔ほど人生が楽しくないような気がする。私は、何を得て何を失ったのか。なぜ、今の生活は昔ほど楽しくないのか。
そのように考えた時、お金とは別に、友情や恋、仲間との思い出といった所に、人生を楽しむ本当の要素があるような気がしました。
気の合う友人と楽しい時間を過ごしていれば、他のものが与えてくれる物以上に人生は豊かに楽しくなる。そのような事に思い至りました。
そして、そのような事を自然に実践できているような人達が、人生を生きていく上で大丈夫な人達なのでしょう。
教師が卒業する生徒にかけてあげた言葉には、そのような思いが込められていたのかもしれません。
人生哲学にはない娯楽マンガの効用
一見すると、単なる娯楽マンガに過ぎない「あずまんが大王」ですが、そこに登場する学生たちが、なぜあんなに楽しそうなのか。
なぜ、お金もないのに幸福そうに見えるのか。なぜつらい事があっても、いつも笑って過ごしているのか。
そのような事を考えた時、彼女らが幸福なのは、人生を良く生きる大切な要素を自然と身につけているからだと思います。
普段から疲労感が抜けない、もう一週間も笑っていない、という方なら、学ぶべきものもあるかもしれません。
ある場合においては、優れた哲学書に書かれている方法を実践する事も大切ですが、それは健康な人々にとって最良な方法であり、疲れている、最近笑っていない、という方は、この作品のように笑いの要素のあるマンガを読むと、肩の力が抜けて、気持ちがほっと落ち着いたり、悩んでいた事が馬鹿らしくなったり、善のサイクルが回り始めたり、という様々な良い効果があるのではないか、と思いました。
最近笑っていない、漠然とした疲労感がある、という方は、ぜひこのマンガを読んで、楽しい時間を過ごしてほしいと思いました。
コメントを残す