「進撃の巨人」は10年以上続いた日本代表の漫画といってもいいでしょう。
簡単なあらすじは主人公「エレンイェーガー」が自由を求め敵を消し去る話ですが、自由を求めすぎたために罪のない人たちまでも巻き込んでしまう話で現代のわれわれに新しい生き方を提案してくれる感動作です。
進撃の巨人の魅力の一つ「伏線や作者の表現」にフォーカスを当てて紹介していこうと思います。
また、現代社会と照らし合わせることでより現代問題に触れることのできる作品です。
なのでどんな世代でも楽しめるようになっています。
1巻の表紙と33巻の表紙が対比されている
はじめに1巻の表紙と33巻の表紙を確認したいと思います。
1巻の表紙は超大型巨人であるベルトルトが立体機動装置をつけた主人公エレンイェーガーと対峙しています。
ベルトルトはエレンの住んでいる町「シガンシナ区」を襲いその町の人を大量虐殺しようとしています。エレンの母カルラはその被害者の一人です。
ここではシガンシナ区の人から見た視点では悪者はベルトルトで間違いないでしょう。よって1巻の表紙はエレンが英雄、超大型巨人(ベルトルト)が悪者のように描かれています。
しかし、33巻の表紙はどうでしょう、白色の巨人はエレンの始祖の巨人です。またこの表紙のシーンはエレンがベルトルトの国マーレを襲おうとしているシーンです。
さらに、その始祖の巨人と対峙しているのはエレンの仲間アルミンやミカサです。
まさに、エレンがやり返しをしようとしているシーンですがマーレの人から見るとエレンは大量殺戮者で、明らかに悪者です。
以上のことからどちらの国から物事をみるかでどちらが正義か悪者がが変わってきます。
これを2つの本で対比した作者、諌山創先生は努力だけでなく特別な才能が存在しているように見えますね。
物事の見方で読者の考えが変わるのは現実の世界でもそうですよね。
エレンの涙の訳
23巻からは世界観がエレンの町からはるか遠くのマーレ国に移り、その間エレンの町の時間が多く変化したのでエレンのキャラクターの髪が伸びたり顔立ちが変わったりします。
この表現は物語で大切な役割を果たします。1話のエレンが起きた時ミカサに対してこのようなセリフを言っています。
「髪伸びてないか」
これは未来のミカサ23巻以降の短髪のミカサを予知夢の中で見ていたからだと思われます。そして、エレンはなぜか涙を流していたのです。
おそらくエレンがマーレの人々を殺す正夢を見ていたからでしょう。その罪悪感から涙を流しているのです。
そのとき腰かけていた木は将来エレンが首を切られエレンを祭るためのお墓になっています。
1話でエレンが寝ている状態と最終話のエレンが眠っている状態を比喩していると考えられます。この表現により最初は何も感じなかったところが急に悲しくなります。
もちろん2回読んだ方はわかるかもしれませんが、2回読むと進撃の巨人という作品が変化してきます。
さらにすごいところは何回読んでもその分の解釈が変わってきます。その点で進撃の巨人は改めて素晴らしい作品だと思っています。
ここまで読んでいただいた方で進撃の巨人を1度でも読んだことのある人ならもう一度読んでみようかなと思ってきたのではないでしょうか?
エレンを倒した後のアルミンのセリフの表現「それはね・・・」
エレンを倒し一件落着、アルミンとエレン反対派は船に乗り何も知らなかったアニにこれまでの出来事を話そうとしていたアルミン。
マンガではわかりませんがアニメでアルミンが説明し始めようとしたそのときの声にも注目する点があります。
アルミンといえば進撃の巨人のストーリーの冒頭のナレーション「その日人類は思い出した」を担当していましたがその時のアルミンの声に違和感を覚えませんでしたか?
幼少期のアルミンなのに異常に声が低いのです。これはエレンとの闘いのあとアニに説明しようとしたあのセリフ「それはね・・・」のあとに続くように構成されているからです。
つまり「それはね・・・その日人類は思い出した」と続くようになっています。
エレンがナレーションでもいいのではという声もありますが、実際アルミンが作品の中で一番合理的でストーリーを進めていくのでアルミンが代表となっているようです。
作画・伏線・ストーリーすべてに優れている進撃の巨人ですが、ここまで工夫されているとは思いませんよね。
音声に関して表現技法を使っている作品は進撃の巨人以外で見たことがありません。
また、第一話の話の音声を撮るときにはもう結末まである程度構図を頭に浮かべれていたという点でやはり諌山先生はすごい人です。
まとめ
ここまで3つの伏線・表現について語ってきましたが、いかがだったでしょうか。
もちろん「進撃の巨人」は伏線で有名なだけ伏線はもっと数多く存在しています。その量は多くまだ見つかっていない伏線もあるといわれるほどです。
実際に読んでみて自分だけ気づいた伏線もあるはずです。
また、作者の諌山先生はユーモアのある方で自分の作品のスピンオフに登場させたキャラクターを本編でちらっと出したりしています。
そういうところも含めてとても面白い作品になっています。読んだことがない方は一度は読んでみることをお勧めします。
また、読んだことがある方も何度も読んでみると解釈が変わったり、新しい伏線や表現技法に気づくときがあります。
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