漫画【からかい上手の高木さん】が大ヒットした理由とは?俺も西方になりてー!

遂に3回目のアニメ化が決まった「からかい上手の高木さん」はまぎれもなく大ヒットした作品と言えるでしょう。しかし一体、何が他のラブコメ漫画と違うのでしょうか? ラブコメ漫画は沢山ある中で、この作品が大ヒットしたのには何か理由があるはずです。

それは一体、なんでしょうか? 多分、多くのクリエーターが知りたい内容でしょう。また読者もなぜ、面白いのかをあらためて認識すると「からかい上手の高木さん」の別の面の面白さに気づくかもしれません。この作品、実は案外に多角的に捉えることが出来る作品なのです。

高木さんのキャラクター設定の秘密

一般的に小学生高学年から高校生くらいまでは女子は大人っぽく感じ、男子は子供っぽい感じがします。女子には生理という物があり、それがきっかけで「いつまでも子供ではいられないんだ」ということを、いやでも気づかされるからです。

ですので女子は早い段階から将来のことを見据えた考え方をするようになることが多いのです。そして高木さんが西方を好きであるのは、まさに一目瞭然です。ですが二人はまだ14歳。まだ、とても結婚を考えられる年齢ではありません。

つまり「好きな人がいるのに、結婚というゴールにたどり着くには、まだ10年以上の時間が必要」なのです。こういう状態になった場合、その女子が取る行動はいくつかのパターンに分かれるでしょう。最も簡単なのは「いち早く告白して将来、結婚する約束を取り付けること」です。そうすれば安心ですから。けれど、相手の男子はまだ子供です。10年の間にどう変わるか分かりません。

今は真面目でも、将来はニートになってしまうかも知れません。男子は試練を乗り越えて段々と大人になっていくのですから「好きな人」が試練に耐えられなければアウトです。

もちろん、また「まだ子供」である男子から約束を取り付けたとしてしも、その約束が守られるかどうかは怪しいと思うのが普通です。つまり「今は確かに好きだけれど、この先もずっと好きでいられるかどうかは分からない」というのが本当のところでしょう。

こういった状況で高木さんが選んだ方法は「まだ子供である西方が成長するのを待つ」ことです。

そして、からかうことによって自然に試練を課して「しっかりした大人」になるように持っていこうと努力しているのです。そして「それとなく好きであることをほのめかす」ことによって西方が「もしかして」と意識せざるを得ない状況を作り出し「大人になった時、私を好きになっていて欲しい」と考えているのです。

有名な「クリティカル」という回で西方が初めて高木さんのことを特別な存在と思っていることを口にしてしまいますが、西方と別れた後、高木さんは「怖いなぁ」と言って終わります。

好きな人に好意を示されたら喜ぶのが普通ですが高木さんは、むしろ「これで油断してはいけない」という感じで顔を引き締めているのです。

そう、まだまだ道のりは長いのです。これで安心してはいけないのです。つまり高木さんは本気で西方と結婚するために必要な手順を踏んでいるのです。

描きたいものと、それにふさわしい場所

この漫画の舞台が小豆島であることはよく知られています。

実際にアニメに描かれている場所、風景、家並などは全て作者の出身地である小豆島の風景をそのまま描いているのです。

なぜ、そうしたのでしょうか? ある人が「この漫画ってなんか閉鎖空間の中で行われているみたいだね。他の学校とか出てこないし登場人物も、素朴っぽい限られた人達だけだし」という感想を述べたことがあります。ですので「これは小豆島が舞台だからなんだよ」と言ったら「なるほど。

それなら分かる」と言っていました。つまり小豆島という小さな島の中でだけ繰り広げられている物語だからこそ限られた環境、人物という設定が真実味を持つのです。

これはあくまで想像ですが作者は「限られた人物、限られた場所」が不自然でないようにするために「ここは小豆島なんだ」ということを読者に理解させるために、あえて徹底的に小豆島の原風景にこだわっているように思えます。

そして、それは成功していると思えます。もし、この物語の舞台が東京23区内だったら、さすがに不自然な感じがしたでしょう。もしそうなら原宿くらい出てきても良いはずですし、もっと色々なタイプの人達が登場した方が自然でしょう。しかし、この物語にはそういった物は「一切、不要」なのです。

何故なら描くべきは高木さんの内なる想いであって、それは閉鎖的な空間で描いたほうが強い説得力を持つからです。

内なる物を描く場合、舞台や人物の多彩さは、むしろ逆効果でしかありません。漫画を読んでいると分かるのは高木さんの想いは「セリフが無い小さなコマ」に現れていることが多い、という点です。そして、それが作者が「本当に描きたい物」だと思われるのです。

14歳の女の子の内なる想いを描くのに派手な背景も脇役も必要ありません。むしろ無い方が良いのです。

真野ちゃんと中井君の存在意義とは?

高木さんが時間をかけて、少しづつ前に進む道を選んだのに対し、真野ちゃんと中井君は先に述べた「最も簡単な方法」を選んだカップルです。だから真野ちゃんは年がら年中、中井君の気持ちが変わっていないかどうかを確認したくなります。

しかし中井君は飄々とした性格なので今一つ、真野ちゃんは安心できるほどの確認ができません。これは「最も簡単な方法」を選んだがゆえのハンデですが、実際に学生時代に恋人と呼べる人が出来たカップルは、この二人のような経過をたどることが多いようで、このカップルは「まさに現実」と言っても過言ではないようです。

つまり「ちょっと有り得ないくらいに大人の女の子」である高木さんの対比として「とっても現実的な真野ちゃん」が存在している訳で、それが面白い効果を出しています。

そして真野ちゃんの苦しみは現実的な苦しみであり読者の中には、同じ思いを経験している女子も多いでしょう。バレンタインデーに「本命チョコ」を相手に渡すために女子がどれくらい苦労しているか、ということを男子は知りません。

そういった「現実的な女子の目線」を真野ちゃんは読者に教えてくれているのです。この漫画は女子向けではなく男子向けであることを考えると真野ちゃんの存在は読者にとって「とても良い勉強の機会」を提供してくれてもいるのです。むしろ、それを描きたいがために登場させているのではないか? とも思えるくらいです。

実際、そうなのではないでしょうか? 私にはそう思えてならないのですが。

高木さんは「可愛い」だけの存在ではない

真野ちゃんも大変ですが、実は手間も時間もかかる方法を選んだ高木さんの方が本当は「ずっと大変」なのです。そして高木さんが大変な思いをする分、西方は前に進むことが出来るのです。そして、それがうれしいから高木さんは大変な思いを厭わないのです。

なぜ、うれしいのかというと西方が前に進めば高木さんの夢も現実に一歩、近づくからです。男女関係というものは、どちらか一方が負担を強いられるものであっては長続きはしません。お互いに支えあえる物があってこそ、始めて「本当のカップル」と言えます。

そして、カップルの最終形は「夫婦」です。もし、あなたが「より良き人生」を送りたいと思うのであれば、良きパートナーを持つことは絶対条件だと考えて間違いありません。つまり高木さんが目指しているものは「より良き人生」なのです。

ですが、そんなものが苦労せずに手に入る訳がないのです。それを知っているからこそ高木さんは西方を、からかい続けているのです。それが西方を一歩、前に進ませる方法だからです。

ただ単に「好き、嫌い」を描くラブコメではなく目標に向かって努力し続ける女の子を描いている。それが「からかい上手の高木さん」なのです。

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