漫画「ヤンキー君と白杖ガール」に描かれる、心優しいマイノリティの世界

「ヤンキー君と白杖ガール」は著者・うおやまによるWeb漫画サイトに掲載中の4コマ漫画作品。(通称『ヤンガル』)

2021年10月から12月にかけて杉咲花主演でテレビドラマ化もされたこちらの作品は、顔に傷のある最恐ヤンキー・黒川森生と、視覚障害(弱視)の女子高生・赤座ユキコのふたりの心の交流を軸にしたラブコメディでありながら、様々な理由から社会で生き辛さを感じる周囲の人々の生き方も鋭く描いた話題作です。

今回は中心人物であるふたりの境遇を通して、その物語全体に広がる優しさの理由を紐解いていきたいと思います。

『ヤンガル』に描かれる登場人物たち、その生き方

『黒ヒョウのモリ』の通り名を持ち、街で恐れられていたヤンキー・黒川が道端で出会ったのは視覚障害者用の白杖を持った女子高生・ユキコでした。

子分たちを引き連れ横柄な態度で道を歩いていた彼は、点字ブロックの邪魔をしたせいで彼女に白杖で尻を刺されるという事態に陥ります。

障害をテーマに描いた本作が”可哀想”がられる、安易なお涙頂戴ものにならない理由として、このようにコメディチックな描写が多いことが挙げられますが、一方で障害を持つ人とその家族、それ以外の問題を抱える人々についてはリアルに描かれています。

「ヤンキー」として周囲から疎まれている黒川、弱視のユキコのほかにも本作では社会的少数派(マイノリティ)の人々が登場します。

ユキコと同じ盲学校に通う少女・空や少年・青野は、視覚障害といってもそれぞれの度合いは違います。

ユキコの姉・イズミは妹を献身的に支えていますが、妹の幸せを望むがゆえの悩みや辛さを抱え、黒川と深い関わりを持つ獅子王(シシオ)は、ゲイであることに悩み、誰にも打ち明けられない孤独感を味わいます

様々な事情を抱えた魅力的なキャラクターたちが時にコミカルに時には必死に活き活きと描かれているからこそ、彼らを応援したくなったり頑張る姿に励まされたりするのです。

「ヤンキー君」黒川森生、顔の傷に隠れた素顔

誰からも恐れられる「ヤンキー」の黒川ですが、年下であっても尊敬するユキコに対しては丁寧語を使うなど、周りの人物と接している彼はいつも誠実で、真っすぐな心根の持ち主であることがわかります。

そんな彼がなぜ町の人々から恐れられる「ヤンキー」と化してしまったのか。原因はその幼少期にあります。

黒川に両親はおらず、育ててくれた祖母と二人で決して裕福とは言えない暮らしを送っていました。さらに親がいないことで偏見を受け、親にその偏見を吹き込まれた子供たちから仲間外れにされるという、孤独な少年時代でした。

顔の傷は小学生の時、困っている男の子を助けるために不良に話をしようとして負わされたもので、あくまで彼は事件に巻きこまれた被害者でしかないのですが、元々の親がいない云々の偏見もあって、事情を知らない人間たちから危険視され、あらぬ誤解を受けてしまいます。

そうして世間から疎まれ「ヤンキー」のレッテルを貼られた彼は、見えないレッテルの通りに『フツウ』の道を踏み外し、社会のはみ出し者として生きていくことになりました

彼本来の人格を歪め、彼の人生を捻じ曲げた見えないレッテルは、顔だけでなくその幼い心にも大きな傷跡を残したのです。

「白杖ガール」赤座ユキコの『フツウ』

出会いのシーンで黒川が自身のコワモテぶりを見えないユキコに説明する際に、顔に傷があると聞いたユキコは、彼を恐れるどころか心配をします。

それをきっかけに黒川はユキコの優しさに触れ、彼女を慕い付きまとうようになりますが、前述したとおり、顔の傷のせいで人々から避けられ続けてきた彼にとって、ユキコのとった行動はまさに青天の霹靂といえるほどの衝撃的な出来事だったでしょう

人の顔が”見えない”彼女は人を見かけだけで判断することはなく、見えないからこそ人の本質を正しく”見る”ことが出来るといえます。

黒川にとってのユキコは単なる恋愛対象ではなく、偏見の目を持たず、自身の存在を肯定してくれる大切な存在なのですが、ユキコにとっての黒川もまた同様です。

初めてのデートで映画館に行った際、ユキコも楽しめるように音声ガイド付きの時代劇を二人で鑑賞するのですが、こぼしても見えないという理由でポップコーンを食べることが難しいユキコに黒川は手渡しで(意図せずアーンもして)食べさせてあげます。

この時彼女は一人では決して知りえなかったポップコーンの美味しさに感動するのです

他人と接することに対して不安を抱き、自分が『フツウ』ではないと思っている二人だからこそ、『フツウ』でない自分に普通に接し、知らない世界を教えてくれる、互いの世界を尊重し、ともに歩むことが出来るのではないでしょうか。

『フツウ』ではない私たちの世界

どうしてこの世界に社会的少数派(マイノリティ)の人が生まれてしまうのか。

自分の常識だけが正しいかのような錯覚のもと、自らを『フツウ』だと定義し、当てはまらない他者を疎む。

ハンディキャップのあるなしに関わらず、外見などから勝手に誰かの人生を想像し、色眼鏡で見る。そんな間違った『フツウ』の線引きによって、お互いの生きる世間を狭めているせいで、生き辛さを感じる人が増えてしまうのではないでしょうか。

黒川・ユキコをはじめとした『ヤンガル』の登場人物たちは、お互いを思いやり他者の事情を鑑みる優しさを持っているからこそ、そこに広がる世界はあたたかい。

現代社会の中で生き辛さを感じる全ての人に、ぜひとも読んでいただきたい作品です。