人生の生き方を学べる娯楽マンガ「MASTERキートン」造詣の深さが魅力の傑作!

人生

MASTERキートンは、ドナウ川の遺跡発掘を目指す考古学者キートンの冒険を描いた18巻に及ぶ漫画です。

キートンは、オックスフォード大学を卒業した考古学者であり、英国特殊部隊SASの曹長を経験していながら、現在は保険の調査員をしているという変わった経歴の持ち主です。

このマンガは、保険調査で訪れる様々な場所で、事件が起こったり、戦いが起こったり、探偵のような事もしつつ、その中でキートンの活躍が描かれているので、万人が楽しめる内容になっているのではないか、と思います。

ここでは、そんなキートンから学ぶ事のできる哲学、名言を紹介する事で、このマンガの良さを掘り下げてみたいと思います。

嫌な事を忘れて人生を楽しめるという事

人は誰でも嫌な事があると、その事について文句を言ったり、気分を害したり、嫌な思いをするのではないか、と思います。

しかし、キートンは、そのような事を考えず、様々な事件が起こっても、冷静に現実の問題に対処し、良い事があれば、すぐにその事を喜ぶような性格の持ち主です。

例えば、13巻の「渡り鳥の黄昏」では、キートンは、バードウォッチングの旅の途中にマフィアの抗争に巻き込まれてしまいます。

銃で撃たれるなど様々な困難に直面しますが、それでも彼は平静で、動揺する事もありません。むしろ、キートンを殺そうとしたマフィアの手先が危機に陥ると、それを助けようと自ら危険に飛び込んでいきます。

そのように色々と大変な思いをして不幸にみまわれるのですが、最後に珍しい鳥に出会う事ができると、私はなんてついてるんだ、と自分の幸福を喜びます。

冷静に考えれば、マフィアに追われて殺されそうになったり、そのマフィアを助けるために銃で撃たれたり、大変不幸なのですが、鳥を見た彼は、そのような事をすっかり忘れて、目の前の光景を眺め幸福を楽しんでいます。

嫌な事はすぐに忘れて、良い事を素直に喜ぶ。たったこれだけの事ですが、そこには人生を上手く生きる上で大切な要素が詰まっていると思います。

普通、人は、嫌な事があるとそれをいつまでも覚えていて、機嫌が悪くてイライラしたりするのですが、キートンにはそのような所は全くありません。嫌な事が終われば、次の楽しい事を考えて次の冒険に繰り出していきます。

実際、少年漫画の主人公たちも、戦いの後にはすっきりとした気持ちで次の冒険に繰り出していくものであり、そのさっぱりとした性格の良さは、見ていて気持ちよくさえあります。

このような、悪に頓着する事がない、常に善良な心を持ち続けている、というのは、人気のあるマンガの主人公に共通する性格なのではないか、と思います。

社会で生きていれば、悪い事に遭遇したり、誰かに意地悪されたり、誰かの悪意に触れたりする事があります。

しかし、そのような悪意をものともせず、常に善い側面だけを見つめて行動していく。そのような主人公たちの持つ正義には、心動かされるものがあります。

キートンは、物事の良い所だけをみて悪い所はすぐに忘れてしまうのですが、そのような性格の良さは、すごいと思いますし、見習っていきたいと思いました。

人の目を気にせず、自分のしたい事をする

楽しむ

キートンは、このように悪に頓着がありませんが、周囲の目にも頓着がありません。いい年をした大人なのに、移動販売のアイスクリーム屋を追いかけまわして、町中を走り回ります。

自分の場合を想像してもらえれば分かるのですが、都会の町中を思い切り走り回るのは、なかなか勇気が必要です。周囲の人々の視線も気になりますし、同じ所を何回も走り回っていたら、怪しい人物だと思われるかもしれません。

実際、キートンと一緒にいる銀行員の友人は、恥ずかしくて照れてしまうのですが、キートンは、そのような事には無頓着で、必死でアイスクリーム屋を追いかけていきます。

キートンのこのような様子を描いたのが、3巻の「昼下がりの大冒険」です。

人は、誰でも周囲からの視線を気にする事があります。そして、それを意識して緊張したり、周囲の評価に悩んだりします。

しかし、逆に言うと、それさえなければ自分の好きなように自由に振る舞えるのではないか、と思います。

これは、仏教などで重要視されている、心の平穏を保ちながら、自然に振る舞える理想的な状態なのではないでしょうか。

周囲の目という自分以外の存在に捉われるだけで、人は自由ではなくなります。しかし、そこから自由になる事ができれば、人生も自由で楽しくなるのではないか、と思います。

もちろん、空気が読めない大人でいる限り、弊害も出てきますが、平常は周囲の目を気にせず、必要な時だけ空気を読む、という姿勢を身につければ、人生は楽になり、楽しくなるのではないか、と思いました。

真昼間からアイスクリーム屋を追いかけているキートンは、人々から見下されるよりも、むしろ応援されています。そこに、物事の真実があるような気がしました。

キートンのように、天衣無縫に生きられたら楽しいだろうな、と思いますし、夢中になれる事があるというのは素晴らしい事だと思います。そして、そのような人は、例外なく魅力的です。

私も、キートンの生き方を見習い、必要な時以外は、周囲の目を気にし過ぎない大人でありたい、と思いました。

こうやって人生を無駄遣いするのも素晴らしい事じゃないか

GOOD

4巻の「家族の瞬間」において、キートンの父親はこのように言いますが、どれだけの方がこのような境地に達する事ができるのか、果たして私はそのような思いを抱く事ができるのか、なかなか深い言葉だと思いました。

私が普段生活していると、人生は有意義に生きないといけない、無駄な事ばかりしていてはいけない、と注意される事が多くあります。しかし、キートンの場合は反対です。

普段から人生を有意義に過ごしているから、たまに時間の無駄遣いをすると、それも時にはいいんじゃないか、と父親からさとされるといった具合です。

人生を普段から有意義に過ごしているキートンの生き方には、見習うべきものがあると思いますし、自身の目標であるドナウ川付近の遺跡発掘、という目指すものがある事も、素直に尊敬に値すると思います。

私は、今のところ、特に目指すものもないですし、行き当たりばったりで中途半端に生きています。そのような事もあり、人生は有意義でなければならない、時間を有効に使うようにしなければならない、と、いつも、そのような思いにかられています。

しかし、人生を有意義に生きているキートンが、自分は人生を無駄にしている、というのですから、それでは本当に有意義な人生とは何なのか、考えたくなってきます。

人生はあっという間であり、そこには様々な生き方があるのではないか、と思うのですが、キートンの父親が言うように、人生を無駄遣いするのも素晴らしい事じゃないか、と言えるような境地に達する事にも、どこか魅力があると思いました。

人生の何でもない時間を楽しむ。それができれば、人生は豊かになるのかもしれない、と思いました。

良い人生の歩み方

良い人生の歩み方

基本的に、MASTERキートンはアクションなどが多い娯楽マンガですが、その生き方や時々語られる思想に注目してみると、そこに深い世界が造形されている事が分かります。

ここでは、嫌な事はすぐに忘れる、周囲の目を気にし過ぎない、人生の何でもない時間を楽しむ、という3つのポイントを紹介しましたが、この3つを明日から実践するだけで、人生は大きく好転するのではないか、と思いました。

どれも私にはない性質のものなので、そのようなものには憧れがありますし、確かに、良い人生を歩んでいる方や、人気のあるマンガの主人公は、これらの要素を持っており、楽しそうに生きているな、と思い当たります。

娯楽マンガのキャラクター設定の中に、人生を有意義に生きる意味を探っていきましたが、キートンのマンガは、どんな時も、どんなに大変にしていても、最後には笑顔でハッピーエンドを迎える話が多いです。そして、それは大事な事だと思います。

いずれにしろ、自分もキートンのような生き方ができればいいですし、そのような生き方を目指していきたい、と思いました。

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